第19章
全部をひとまとめに - ロジバンテキストの構造について

1. はじめに

本章はひどく雑多である。ロジバンテキストの構造を規定するシマヴォを、大きいもの(段落)から小さいもの(単語)まで紹介する。ここで紹介する言語のしくみは、会話や長い文書で一般には用いられるため、例文は他の章より少ない。

また、本章は自己完結的でもない。他の章でしか完全に説明されていない概念を数多く参照する。そうしなければ、他の全ての章をひとまとめにしたのと同じぐらい複雑な、テキストの構造に関する章になってしまうだろう。ロジバンは統合された言語であり、言語のそれぞれの部分を(ある程度)理解することなしに、言語の一部分を(完全に)理解することはできない。


2. 文: I

本節では、以下のシマヴォを取り扱う:

     .i      I       文区切り

ロジバンは音声形と書記形が同形であるので、文区切りを表す方法が、話し言葉および書き言葉の両者において必要である。英語の書き言葉では、句点(ピリオド)がこの役割を果たす。話し言葉では、イントネーション(上昇もしくは下降)や、長い休止が使われる。ロジバンでは、区切りとして シマヴォ “.i” (セルマホ I) が使われる。

2.1)   mi klama le zarci .i do cadzu le bisli
       私 行く 店へ。 あなた 歩く 氷の上を

“.i”は「区切り」であるため、 最後の文の後や最初の文の前には通常使われない(使っても文法的ではある) “.i” は同じ話題に関する新たな文の始まりを表すが、同じ話者とは限らない。 文の間の関係は不定である(物語の場合は、時系列関係であり、後の文が前の文の後に起こったことであると想定される)

英語の文の最初の文字は大文字で書くが、シマヴォ“.i”は大文字で書かれることはない。書く場合、“.i”の前に空白を余分に置き、読者が分かりやすいようにするのが親切だ。“.i”をすべて行頭に置き、前の行の最後に空白を残しておくという書き方のスタイルもある。

次の文の話者が前の文の話者と異なる場合は、文どうしが関連があるかどうかに応じて、“.i”を使っても使わなくても良い。(訳注:英語の "And " や日本語の "で、"などから文を始めるニュアンスと同じか。)

シマヴォ “.i”は、論理・非論理接続詞 (jek や joik)、法制・間製、もしくはその両方と複合シマヴォを形成することもできる。これらの構成は、9章10章14章で説明する。どの場合でも、“.i”は複合シマヴォの最初に来る。心態詞が文全体にかかる場合は、“.i”に添加することができる(13章を参照)。

密接に関連した文の列を作る方法が2組用意されている。“.i”(接続詞があっても無くても)の後に“bo” (セルマホ BO)が続くと、区切られている2文は、単に “.i” で接続されている2文よりも密な群であると理解される。

同様に、文の群を“tu'e” (セルマホ TUhE) と “tu'u” (セルマホ TUhU)で囲み、ひとつの単位にできる。 “tu'e ... tu'u”の一般的な使い方は、詩を構成する文をまとまることである。タイトルの文がその群の前に置かれ、“.i”で区切られる。 他には、 手順書(訳注:レシピや組み立て説明書など)にも使えるであろう。 この場合、それぞれ順序の書かれた「手順」が “tu'e ... tu'u” で囲まれ、“.i”で区切られた複数の文を含む。“tu'e” と “tu'u” で文をまとめるのは、“ke” と “ke'e”を使い論理・非論理接続詞の係る範囲を明確にするのと似ている。


3. 段落: NIhO

本節では、以下のシマヴォを取り扱う:

     ni'o    NIhO    新し話題
     no'i    NIhO    古い話題

     da'o    DAhO    シマヴォ割り当ての取り消し

段落はとは、話題の変化を表すのと、長いテキストを読みやすく分割すると いう2つの目的のために書き言葉で使われる概念である。 前者の目的は、ロジバンでは “ni'o” と “no'i” (どちらもセルマホ NIhO)が担う。 このうち、“ni'o”のほうがより多く使われる。 慣例では、ロジバンの書き言葉では、“ni'o” や “no'i”の前で段落に分けられるが、 同一の話題に関する非常に長い文章も、“.i”の前で段落に分けられることがある。 一方、英語の会話文では、新しい話者が話し始めた時に新しい段落が始まるのが慣例であるが、 これはロジバンの会話ではあまり見られない。 もちろん、これらの慣例は意味には全く影響しない。

“ni'o”は、“.i”の代わりに文区切りとして使え、新しい話題や段落の始まりを表す。文法的には、“ni'o”はいくつでも繋げて使え、単一の“ni'o”と同じであるが、意味的には、“ni'o”を多く繋げるほど、話題の変化が大きいことを表す。これによって、大話題、中話題、小話題などがある複雑な構造のテキストを、明確に曖昧性なく、ロジバンの話し言葉および書き言葉として表現できる。しかし、書き言葉と会話では、“ni'o”に若干の習慣的な違いがある。

書き言葉では、単一の“ni'o”は単に新しい話題を示す談話指標であるが、“ni'oni'o” は文脈的な変化を表す。この状況では、“ni'oni'o”はセルマホ KOhA の代スムティと、セルマホGOhA の代ブリディの定義を全て暗黙的に取り消す。(明示的に取り消すには、セルマホ DAhO のシマヴォ“da'o”を使う。これは談話系の自由な文法に従い、ほぼどこにでも置くことができる )“ni'oni'o”を使っても、セルマホ UI の心態詞や間制参照には影響しないが、大幅な話題の変化を表す “ni'oni'oni'o” を使うと、心態詞と間制の両方がリセットされる (心態詞のスコープに関する議論は8節を参照のこと)

話し言葉は、本質的にあまり構造化されていないため、このレベルは1段階、すなわち単一の“ni'o”のみとなり、これが文脈の変化を表し、代スムティと代ブリディの代入を取り消す。一方、本や、『千夜一夜物語』のように物語の中に物語が入っている場合では、“ni'o”を必要に応じてさらに伸ばしてより多くのレベルを表現できる。通常、書かれたテキストは、そのテキストの中での最も大きいレベルの分割に必要な数だけ、シマヴォ“ni'o”を繰り返したものから始まる。“ni'o”文字列は、添字を付けて談話のそれぞれの文脈を表すことができる(6節参照)

“no'i”の効果は“ni'o”に似ているが、以前の話題を再開することを表す。話し言葉では、「話を元に戻すと...」のような自然言語の談話句に対応する(ロジバンではもっと短いが)。デフォルトでは、再開された話題は実際には最後の“ni'o”の前のものである。話題の中に小話題が入れ子になっている場合、“no'i”は前の小話題を再開し、“no'ino'i”は前のより大きい話題を再開する。“no'i”は、 “ni'o”で取り消された前の間制や代スムティ代入も再開することに注意しよう。

“ni'o”に添字が付いた場合、同じ添字を持つ“no'i”が続いているものとして考える。“no'i”には負の添字を付けることもでき、その場合は段落をその数だけさかのぼり、そこの話題が再開される。


4. 話題・記述文:ZOhU

本節では、以下のシマヴォを取り扱う:

     zo'u    ZOhU    話題/記述区切り

通常のロジバン文は単なるブリディであり、主語と述語を持つ通常の自然言語の文と対応する:

4.1)   mi klama le zarci
       私は市場へ行く。
中国語では、通常の文の形が異なっている。話題がまず延べられ、続いてその話題に対する記述が続く。(日本語にも話題の概念はあるが、日本語では接尾辞(訳注:助詞「は」)を付けることによって示す。他にも、様々な方法によって話題を明示する言語がある)。話題とは、その文が何に関するものか、ということを表す:
4.2)   这   消息       我  知道    了
       zhe4 xiao1xi2   wo3 zhi1dao le
       このニュース      私 知っている [完了]
       このニュースに関しては、私は知っていた。
       このニュースはもう聞いたことがある。

(訳注:この文での「了」の使い方は正確ではない。この文は、例えば誰かから新しいニュースを何度も聞かされて「もうそのニュースについては分かったから!」というニュアンスが正しい。「このニュースはもう聞いたことがある。」と言いたいなら、「这消息我听说过」「这消息我已经知道」と言うべきである。)

例 4.2の最初の3行中に広いスペースは、話題(「このニュース」)と記述(「私は知っている」)を分けている。

Lojban uses the cmavo “zo'u” (of selma'o ZOhU) to separate topic (a sumti) from comment (a bridi):

4.3)   le nuzba zo'u mi ba'o djuno
       The news : I [perfective] know.
Example 4.3 is the literal Lojban translation of Example 4.2. Of course, the topic-comment structure can be changed to a straightforward bridi structure:
4.4)   mi ba'o djuno le nuzba
       I [perfective] know the news.
Example 4.4 means the same as Example 4.3, and it is simpler. However, often the position of the topic in the place structure of the selbri within the comment is vague:
4.5)   le finpe zo'u citka
       the fish : eat
Is the fish eating or being eaten? The sentence doesn’t say. The Chinese equivalent of Example 4.5 is:
4.6)   yu2    chi1
       fish   eat
which is vague in exactly the same way.

Grammatically, it is possible to have more than one sumti before “zo'u”. This is not normally useful in topic-comment sentences, but is necessary in the other use of “zo'u”: to separate a quantifying section from a bridi containing quantified variables. This usage belongs to a discussion of quantifier logic in Lojban (see Chapter 16), but an example would be:

4.7)   roda poi prenu ku'o su'ode zo'u de patfu da
        For-all X which-are-persons, there-exists-a-Y such-that Y is the father of X.
        Every person has a father.
The string of sumti before “zo'u” (called the “prenex”: see Chapter 16) may contain both a topic and bound variables:
4.8)   loi patfu roda poi prenu ku'o
            su'ode zo'u de patfu da
       For-the-mass-of fathers for-all X which-are-persons,
            there-exists-a-Y such-that Y is the father of X.
       As for fathers, every person has one.
To specify a topic which affects more than one sentence, wrap the sentences in “tu'e ... tu'u” brackets and place the topic and the “zo'u” directly in front. This is the exception to the rule that a topic attaches directly to a sentence:
4.9)   loi jdini zo'u tu'e do ponse .inaja do djica [tu'u]
       The-mass-of money :  ( [if] you possess, then you want )
       Money: if you have it, you want it.
Note: In Lojban, you do not “want money”; you “want to have money” or something of the sort, as the x2 place of “djica” demands an event. As a result, the straightforward rendering of Example 4.8 without a topic is not:
4.10)  do ponse loi jdini .inaja do djica ri
       You possess money only-if you desire its-mere-existence.
where “ri” means “loi jdini” and is interpreted as “the mere existence of money”, but rather:
4.11)  do ponse loi jdini .inaja do djica tu'a ri
       You possess money only-if you desire something-about it.
namely, the possession of money. But topic-comment sentences like Example 4.9 are inherently vague, and this difference between “ponse” (which expects a physical object in x2) and “djica” is ignored. See Example 9.3 for another topic/comment sentence.

The subject of an English sentence is often the topic as well, but in Lojban the sumti in the x1 place is not necessarily the topic, especially if it is the normal (unconverted) x1 for the selbri. Thus Lojban sentences don’t necessarily have a “subject” in the English sense.